
大分緑山岳会
令和5年度(2023年度)の始まりに当たって
2023 メッセージ
かつては、登山を学ぶ場としての山岳会が位置づけられていた。いつの頃からか、そのような位置づけは忘れられてきたように思う。大分緑山岳会を創立した昭和63年、大分県山岳連盟には、山岳団体が30以上は加入していたと思う。それが現在では、8団体程度か。それでも、九州各県の山岳連盟(山岳協会)よりは、加入団体は多いようだ。
情報化により、多くの知識は簡単に得ることが出来、山岳会に所属しなくても、山の情報や技術の習得は可能となっている。ただ多くの情報は、真に正しいか否かは、わからない。
また、情報化により、山でのアクシデントは、直ちに警察などに連絡が出来、救助活動が迅速に出来る。その簡単な連絡が、安易な救助要請となり、毎年毎年、遭難事故数の更新となっている。
そこを考えると、本来の山岳会の意義にそった活動をしたいと思う。正しい技術を伝え、正しい登山を行うことを目指したい。毎年、年度初めにコロナ禍のことを述べていたが、3年以上もそれにこだわっていると、技術・思考は、衰退かと思う。また、会員は均等に歳をとった。それを取り戻し、活発な活動の一年にしたい。
2023年4月 安東桂三
令和4年度(2022年度)の始まりに当たって
2022 メッセージ
2020年、コロナに対して耐えようとメッセージを送った。2021年、コロナが終われば、素晴らしい山登りに出かけようとメッセージを送った。本年は、コロナ禍3年目、コロナに翻弄されることを考え直し、本来、我々は何をすべきかを考えたい。
最近読んだ本に、二つの言葉があった。
『船は港にいる時が最も安全ではあるが、それは船が作られた目的ではない(J・A・シェッド)』
『日本人初の8000m14峰サミッターの竹内洋岳さんも、『登山の哲学』という本の中で、「登山は確かに『死』が身近に感じられます。だからといってクライマーたちは『死んでもいい』と思って登っているわけではない」と語っています。』
この二つの言葉は、強いメッセージとして、私に伝わった。これを、大分緑山岳会のメンバーにも、また、このホームページをみる方にも伝えたい。
コロナをはじめ、多くの困難を乗り越えて、努力し山に登る、そして頂に到達し、安全に戻ってくる。得られる慰安は、何事にも代え難い。これが、我々の姿と思う。
2022年6月 安東桂三
令和3年度(2021年度)の始まりに当たって
2021 メッセージ
4月7日に開催された大分緑山岳会の定期総会は、無事に終了した。新型コロナウィルス感染を避けながら、1年間、出来る範囲で山登りをやってきたが、本年は、昨年以上に耐えなくればならない状況となった。新型コロナウィルスによる死者は国内で1万人を超え、我々の生活する大分県でも、累計感染者数は1800人ほどで、死者は24名。
大分県では、感染者が身近にいてもおかしくない、県民の皆様が一人ひとり自覚して感染対策するようにとアナウンスしている。不要不急の往来の自粛下での登山は、薦められない。人口10万人あたりの新規感染者数は、ステージⅣ。このまま感染者が増えるようであれば、医療崩壊へと進んでいく。山は、人口密集でないので、感染の恐れは少ないが、もし怪我でもすれば、医療現場が大変なのに、それに迷惑をかけてしまう。ここは、昨年以上に耐えねばならない。
多くの国民が新型コロナワクチン接種終了し、健全な世の中がやってくるまで辛抱。新型コロナが収まれば、一気に、全力で、素晴らしい山登りに出かけよう。
2021年4月末 安東桂三
安東の思う事。
今の目標は、『日本のクラシックを登る』です。クラシックとは、クラシックルートのこと。例えば、まず槍ヶ岳なら北鎌尾根からとか、剱なら、八ッ峰とか。北アルプスや南アルプス及びそのほかの遠方では、谷川岳一ノ倉沢烏帽子岩南稜のクライミング。甲斐駒ヶ岳黄連谷右俣のアイスクライミング。甲斐駒ヶ岳鋸山の積雪期縦走。剣岳八ッ峰の縦走。剱岳八ッ峰Ⅵ峰のクライミング。奥穂高岳南稜。明神岳主稜縦走。前穂高岳北尾根。他にも、書ききれないくらいの目標がある。
毎年、3つくらいは、目標実現しようと思っているが、今年は、新型コロナなどの影響で、やっと目標の一つ、剱岳源次郎尾根を登れた。来年(2021年)には、7月初めに、奥穂高の南稜へとか、8月末には剱へとか、考えているが。体力・技術・他外的要因によって登れないかもしれない。
近場の目標もあるし、年齢の目標もある。基本的に、私はクライマーでなくハイカーと思うが、70歳半ばまでは、宮崎県の比叡山のクラシックルートのクライミングをしたいと思う。歳をとっても、クライミングしていきたい。比叡山のクライミングが出来なくなったら、日出町の岩場でも登り、それが出来なくなったら、高崎山の岩でも触るか。そのあとは、ゆっくり由布山歩きか、最後は霊山か。
良く言われることに、『山は逃げない』というが、『山は逃げる』。実際、山は永遠にあるけど、人は歳をとり、登る能力が落ちてきて、登れなくなってしまう。結局、山は逃げてゆく。そこを皆、理解して、登りたい山を目標として掲げ、それに努力をしないと、山が登れないままになる。そこを、皆に伝えたい。
歳をとっても、今、目標を考え、それに近づく努力を。
多くの先輩が、言ってきたことを紹介しよう。
チャールズ・ディードリッヒ: 「あなたのこれからの人生の中で、今日が一番若い日。残りの人生で、今この時が常に一番若い。」Today is the youngest day in the life.
永六輔: 「人間、今が一番若いんだよ。明日より今日の方が若いんだから。いつだっ
て、その人にとって今が一番若いんだよ」
チャールズ・ディードリッヒ: Today is the first day of the rest of your life. 「今日という日は、残りの人生の最初の日である。」、「若い頃もっとやりたいことをやっておけば、昔もっと勉強しておけば。誰もが思う事です。しかし、何かを始めるのに遅すぎるという事はありません。もう自分は歳だからと思っても、未来の自分から見たら、今のあなたはいつでも若く、そしてずっと可能性にあふれているのですから。大事なのは早いか遅いかではなく、やるかやらないかなのです。」
林修: 「いつやるの?今でしょ!」
松下幸之助: 「いまやらねば いつできる」
パブロ・ピカソ: 「明日に延ばしてもいいのは やり残して死んでもかまわないこと
だけだ」
※ホームページ係編集者註:本文は昨年(2020年)末の定例山行の際に安東会長から参加者7名に配布された「大分緑山岳会定例山行鞍岳 2020年12月13日 安東の思う事」と題するワンペーパーを掲載したものです)
2020 メッセージ
昨年末より、おかしな肺炎が流行り始め、本年になり、それが、『新型コロナウィルス』による肺炎と解った。解ったが、如何に対処するかが、未だ解らず、世界中で感染者が増え続けている。我々の日本でも、急激に感染者が増え、パンデミックという表現が、正しいかもしれない。
感染しても症状がでず、症状が出なくても、感染者は、感染を広げていく。つまり、元気と思われている人が、感染者かもしれない。新型コロナウィルスに直接効果ある薬は、未だ作られず、対処療法のみ。熱が出れば、解熱剤。咳が出れば、咳止め。肺炎が重症化すれば、人工呼吸器。困ったものだ。学校などは、臨時休校。仕事はテレワーク。人込みは敬遠せよ。人と接触するな。人と接触する場合は、2m離れよ。
4月は、大分緑山岳会の定期総会。会場の公民館は閉鎖。総会を延期するか、開催しないかと考えて、事前に総会議案書を配布し、各会員が目を通し、ある会場を借り、素早く議事進行した。すべての議案が承認されたが、新型コロナの影響を考えつつ、今後の会運営をやらねばならぬ。
耐える時期かと思う。新型コロナウィルスに効く薬が、一刻も早く出来ることを願うが、耐える時期、山に行けない時間があれば、読書、イメージプラン、自分でできるロープワークなど、自己の登山力を鍛えることができる。
新型コロナが収まれば、一気に、素晴らしい山登りに出かけよう。
2020.4.6 総会を終えて 安東桂三
令和時代の始まりにあたってのご挨拶
昭和61年頃より、大分市内に住む20歳~30歳台の若者が中心となり、山登りを楽しんでいた。組織ではないが、漠然とサークルのような集まりで、日頃は、歩く、登る、攀じることをしていたが、毎年9月には、大分県民体育大会山岳競技の大分市の選手として、競技登山に参加していた。
その仲間が、組織として山岳会の活動をしようと、昭和の終わるころ、大分緑山岳会は発足した。昭和63年末より昭和64年初にかけ、槍ヶ岳北鎌尾根、伯耆大山縦走と2パーティの会山行が、発足山行だった。
昭和、平成、令和と時代は変わり、バブルの崩壊から、失われた20年、東日本大震災、その後の少子高齢化・人口減少による歪と、日本は大変な時代をむかえている。登山界も、山岳会の衰退と、未組織登山者の増加、それに伴う遭難事故の増加と多くの問題を抱える。その中で、大分緑山岳会は、生き残り、活動を続けてきた。
「人々が美しく心寄せ合う中で文化は花開く」を意味する『令和』の新時代、新たな目標をもち、大分緑山岳会の仲間たちは、正しい登山知識、正しい登山技術をもった集団を目指したい。
令和元年11月27日
大分緑山岳会
会長 安東桂三